2008/12/23

今年も、皆で、生き延びた。

終わった。
ようやく、のんびり、日々を過ごせる。



以前、
今よりも音楽的に
ダメだった頃は
「この時期は忙しくて行けねえよ」
と、ライヴをやっても
来てもらえなかったもんだ。

それが、どうだい。
成田から、
つくばから、
金沢八景から、
所沢から、
町田から、
本当に遠くから、
観に来てくれる人が、いて。



ブーテン(舞天)は、
これで、今年4回目のライヴなんだが、
ライヴハウスでやったことは、
1度も、ない。

デビューライヴの日吉のあそこも、
元はダーツバー。
機材のセッティングから
全部皆でやったのだ。

でもそれは、
小那覇舞天さんが
照屋林助さんを連れて
戦後間もないうちなーの
あちこちの
村や
家や
米軍収容所を
夜な夜な回っては
爆笑の渦、
巻き起こしてたそこには
マイクもアンプもなかっただろう。



今回のハコも、
陶器の焼き物の工房。

工房の女将が
ここでやらないかって
招いてくれたんだ。

喜んで参上するぜ。

焼き釜の隣で、
ノンマイクで、
シャウトしてきたぜ。

ただ、
山さんとタカツカさんには
エレギを弾いてもらいたかったんで
アンプを家から持ってきてもらって
セッティングゥ~。
これが時間と
神経を使う。

エレギよりでかい声で
俺はノンマイクで1時間半、
歌い続けなきゃいけねえ。
もー、いい歳になって
何でまだ、挑戦し続けるんだ、俺。



しかも、
今だから言うが、
山さんは
右人差し指を
仕事で捻挫してしまっていた。

前日まで全く動かない状態、
うまくいくかどうかは
もー、
本番次第。

工房の女将、
まり子さんと順子さんも
ライヴを仕切るのは初めて。

皆が、そこそこ、テンパッていて。



結構押して、
客入れが始まる。

MCで喋り忘れたけど、
客入れのBGMは、
来年発売する
俺のソロアルバム。

こっそり皆に、
お届けしたんでぇ~ございやす。




お客さんが入りだすと、
心は、すぐに、落ち着く。
音楽、昔から長いこと、
やってきたんだ。
その辺は、
お茶の子さいさい、
ってやつだ。



皆、
不忘年会を
とっても楽しんでくれたみたいだよね?
騒いだ。
笑った。
一緒に歌った。
防音設備のない
周囲は民家の
工房で。



タカツカさんと
トランキル・オーヴァーの曲も
沢山やった。

アンコール、
お客さんは、
2度も要求してくれた。



客出しのBGMは
珍しく手に入った
小那覇舞天さんのCD。

そこには
舞天さんと、皆の、爆笑の声が。

今日の俺たちのライヴは
そのCDに、
どれだけ近づけた事だろう?

人口の1/4が亡くなった
沖縄戦を生き延びて
亡くなった人を思い続け泣き続けずに
笑って生き延びた命のお祝いをしよう
「ヌチヌスージサビラ」
と言った、
舞天さんの志に、
ちびっとだけでも
どれだけ近づけた事だろう?

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