1年、
「あっ」
っちゅー間に過ぎる事
こーいんやのごとし。
今年も、慰霊の日がやってきました。
人口の1/4が亡くなったという
唯一の地上戦である、
沖縄戦が終わった日、
平たく言うと、
その日が今日なんです。
未だに沖縄の人の心
を逆なでするような
出来事が多く、
心休まる日が未だ遠い事を思うと
つらい思いに駆られます。
皆さんも、
今日ばかりは
沖縄の地元の新聞などを
ネットで見てみるのは
いかがだろーか。
是非、読んでたもれ。
沖縄タイムス
http://www.okinawatimes.co.jp/
琉球新報
http://ryukyushimpo.jp/
以下は、
今日の新聞の
慰霊の日に関する
たくさ~んの記事の中から
ほんの1部からの
抜粋ですよ。
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日本兵が暴行、右目失明 表紙の「少女」大城さん、沖縄戦を語る2008年6月22日
【石垣】「これが沖縄戦だ」(大田昌秀著、1977年出版)の表紙写真「うつろな目の少女」で知られる旧玉城村出身の大城盛俊さん(75)=兵庫県伊丹市=が21日、「沖縄で起きた戦争の話」と題して石垣島で講演した。
講演会は、平和行政を推進する石垣市と、今年設立20周年を迎えた世界平和の鐘県支部(平田哲三支部長)が主催。約300人の聴衆は、喉頭(こうとう)がんで声を失い人工声帯で語る大城さんの話に聞き入った。
沖縄戦当時、育ての父から「兵隊にやられないように」と言われ、女の子のように装っていた大城さん。12歳だった1945年、沖縄本島に上陸してきた米軍から逃げるように旧玉城村のガマに入った。「中にいた日本兵に黒砂糖が入っていたリュックサックを取られそうになった。勘弁してくださいと断ると、パーンと思い切り殴られた」。その暴行で右目は今も見えない。
実母もスパイ容疑をかけられ、日本兵に手榴弾(しゅりゅうだん)で殺された。大城さんは時折ハンカチで涙をぬぐい「日本の軍隊を決して許すことができない」と静かな怒りを込めた。来場した運天勇利君(平真小5年)は「僕と同じぐらいの年に、腕も折られて目も見えなくなって、一人で生き延びたのがすごい。戦争は怖い。」と平和への思いを強くしていた。
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