奇数月、第1日曜深夜に放送される、
J-WAVEの、坂本龍一さんの番組。
今回はGWがあったので
放送は5/10。
同じくらい好きな細野晴臣さんの特番も
同じ時間にNHK-FMでやっていたし
同じくらい好きな清志郎の事も頭から離れず
半分、眠りながら聴いていたんだが。
「次のエントリーは・・・
すごい名前だな、
眼を疑ってしまいます。
カマダヒロノミヤで
『the moon re-landing』」
その番組では
オーディションコーナーがあって、
投稿された音楽などから
坂本さんが、
いいな、と思った曲を
ノミネートと称してかけるんです。
で、
ありがたいですね、
放送されました。
http://www.j-wave.co.jp/original/radiosakamoto/audition/free_nominees-34.htm
最近はこのような
コンテストには応募もしていなかったんですが
石垣島のグレートな友達、
miyakoさんから
出してみたらと誘われ
お!
それはいいアイデア、
2枚目のソロアルバム
(いつ発売するんだ?キャマダのホラ吹きヤローが)
から投稿してみました。
すごいのは
このmiyakoさん、
今回、僕と同時入賞で、
2回連続受賞です。
上記サイトで
僕の曲と同様に試聴できます。
曲名『Don't you love me anymore?』
ユニット名 The Phonos+miyako
坂本さんは
僕の曲を
「こういう乱暴な・・・
東京ファンクというか・・・
格好いいですね」
と言って下さいました。
この曲は、
僕の敬愛する倉田ケンジ監督の映画
『スプートニク・バンケット』
のために書いた曲だったんですが
双方納得の末、
ボツにした曲です。
あ、
そうそう、
倉田監督と言えば
『緋音町怪絵巻』
が映画館で再上映されるそうで
こちらも分かり次第
詳細をお伝えしますね。
2009/05/13
2009/05/12
青山ロックンロールショー
清志郎の葬儀、改め
青山ロックンロールショー、
行ってきました。
沢山、泣いたけど、
ありがとう、言えました。
何人かの友人が
こんな僕を心配してくれたのか
電話をかけてくれたり
メールをくれたりした。
僕なんぞ、
心配されるような
輩ではないのに。
でも、
とても嬉しかった。
ありがとう。
僕らは、「愛し合って」いる。
そこにいた42000人の皆、
必ずまたどこかで会って、
「愛し合ってるかい?」
と言い合って、
盛り上がろうぜ。
だって、写真、見てくれよ。
清志郎の顔の上の垂れ幕は
白黒
ではなくて
紅白
だったんだぜ。
青山ロックンロールショー、
行ってきました。
沢山、泣いたけど、
ありがとう、言えました。
何人かの友人が
こんな僕を心配してくれたのか
電話をかけてくれたり
メールをくれたりした。
僕なんぞ、
心配されるような
輩ではないのに。
でも、
とても嬉しかった。
ありがとう。
僕らは、「愛し合って」いる。
そこにいた42000人の皆、
必ずまたどこかで会って、
「愛し合ってるかい?」
と言い合って、
盛り上がろうぜ。
だって、写真、見てくれよ。
清志郎の顔の上の垂れ幕は
白黒
ではなくて
紅白
だったんだぜ。
2009/05/09
清志郎、心から、ありがとう。
徳島の街を歩いていた。
すると、
そこには何故か
小さい野外ステージがあって、
無人なのに、
照明が七色に輝いていた。
一緒にいたダチ公が
「鎌田、歌え!」
と叫んだ。
酔っ払っていた奴は、
いつものように、
僕の曲をリクエストした
つもりだったのかもしれない。
僕は、正に“声を張り上げ”て
「スローバラード」
を歌った。
何度も、涙で歌が止まった。
でも、
清志郎が聴いてくれているかもしれない
と思って、最後まで歌った。
中学生の時に
清志郎の歌と出会い、
いつまで経っても
決して途切れずに聴いてきた。
このくだらない僕にさえ
いつまで経っても辛抱強く
僕を励まし
鼓舞し
慰め
勇気付けてくれた。
沢山の友達が
mixiで、
清志郎の事を書いてくれていた。
でも、
そこに書き込むことはおろか、
自分の日記にさえ
この
数日間
という
長い間、
何も書くことができなかった。
頭の悪い僕は
清志郎の歌声が聴こえない世界
というものを
理解できなかったからなんだ。
いや、
覚悟はしていた。
でもその一方で
清志郎なら
今までの様々な困難を乗り越えたように
ガンさえも乗り越えてしまうんじゃないか
とも思っていた。
僕は昔、
残酷なまでに苦しい闘病生活の果てに
脳腫瘍で死んだ友人がいたから
清志郎がどのくらい苦しんだか
想像してしまう。
清志郎、
今まで、心から、ありがとうございました。
僕は死ぬまで
あなたの歌や言葉や振る舞いや行動を
大切に抱きしめて生きていきます。
明日、
青山葬儀場に
ありがとうを言いに行きます。
よかったら
“豚ども”の僕の言葉を
聴いて下さいね。
鎌田浩宮
すると、
そこには何故か
小さい野外ステージがあって、
無人なのに、
照明が七色に輝いていた。
一緒にいたダチ公が
「鎌田、歌え!」
と叫んだ。
酔っ払っていた奴は、
いつものように、
僕の曲をリクエストした
つもりだったのかもしれない。
僕は、正に“声を張り上げ”て
「スローバラード」
を歌った。
何度も、涙で歌が止まった。
でも、
清志郎が聴いてくれているかもしれない
と思って、最後まで歌った。
中学生の時に
清志郎の歌と出会い、
いつまで経っても
決して途切れずに聴いてきた。
このくだらない僕にさえ
いつまで経っても辛抱強く
僕を励まし
鼓舞し
慰め
勇気付けてくれた。
沢山の友達が
mixiで、
清志郎の事を書いてくれていた。
でも、
そこに書き込むことはおろか、
自分の日記にさえ
この
数日間
という
長い間、
何も書くことができなかった。
頭の悪い僕は
清志郎の歌声が聴こえない世界
というものを
理解できなかったからなんだ。
いや、
覚悟はしていた。
でもその一方で
清志郎なら
今までの様々な困難を乗り越えたように
ガンさえも乗り越えてしまうんじゃないか
とも思っていた。
僕は昔、
残酷なまでに苦しい闘病生活の果てに
脳腫瘍で死んだ友人がいたから
清志郎がどのくらい苦しんだか
想像してしまう。
清志郎、
今まで、心から、ありがとうございました。
僕は死ぬまで
あなたの歌や言葉や振る舞いや行動を
大切に抱きしめて生きていきます。
明日、
青山葬儀場に
ありがとうを言いに行きます。
よかったら
“豚ども”の僕の言葉を
聴いて下さいね。
鎌田浩宮
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